池田晶子『知ることより考えること』読了
先日ブックオフにて発見、購入。帯に「痛快哲学エッセイ」とあったのだけど、ほんとそうだ(笑)。池田さん、結構ブチ切れている。でも、怒りというよりは、この「知ること」重視な世の中を憂えているだけなんだろうけど。あとがきにはこうあります。
『知ることより考えること』とは、決して知ることの否定ではありません。考えるとは、本当のことを知るために考えるという以外ではあり得ない。しかし、きょうび「知る」とは、外的情報を(できるだけたくさん)取得することだとしか思われていない。取得するばかりで、誰も自ら考えていない。だから世の中こんなふうなのであります。
私も思いますが、知ることは悪いことじゃないんですが、何を知ろうとするかだったり、知って何をするかというところが微妙にずれてる気がする(知りたいと思ったことを楽して得ようとする人とかいて何なんだ?って思うこともありますね〜。その被害には何度も遭っております…)。 つーか、どんどん個人(世界)が崩れていってるような感じ。「下品(げぼん)」な人にならないように「考えて」生きよう。たぶん、これを読んでイライラする人というのは、ばつが悪いからなのでは? そうでない人には痛快この上ない。
知ることより考えること | |
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以下、メモ。
「自分と世界」と人は言う。見える世界が先に在り、それを自分が見ているのだと、こう思うわけである。しかしこれは勘違いだとわかるだろう。世界は、視界は、必ず自分から開けている。自分が世界の開けである。自分が存在しなければ、世界は存在しないのである。だから、「自分と世界」なのではなくて、「自分が世界」なのである。ということは、「自分」も「世界」も存在しなくて、ただ存在しているというだけなのである。ああ、存在とは、何なのか。
そんなことを日がな考えている私の目は、遠くを見ていると言ったが、実は何にも見えていない。考える時に、目なんてものは、何の機能も果たしていない。虚空に見開く、もうひとつの、目。
(p15-16「老眼に想う」より)
同様に、国家もない。下は、かなり笑え、ちょっとむなしくなったところ。
じっさい私は、「脳はほめてあげると喜ぶ」といった類の言説に出会うと、骨の髄から脱力する。なんかこう、それこそ脳味噌がズルズル溶け崩れてゆくのを覚えるのである。人間がものを考えるのをやめると、するにこと欠いて、かくも奇怪な言説をひねり出すに至るの例である。一回りした諧謔であるなら理解できる。しかし人は本気なのである。私はそこにほとんど腐臭のようなものを感じる。自ら考えることを放棄した人間たちの醸し出すこの腐臭は、現代社会全体に蔓延しているものだ。
どうしてものを考えないのか。自分でものを考えろ。考えなければ馬鹿になる。
と、こうけしかけたなら、おそらくこうくるはずである「考え脳のつくり方」
この馬鹿馬鹿しさに、人びとが気がつかなくなっているのが怖い。(中略)自分で考えているつもりで全く考えていない近代社会の大衆を指して「畜群」と、ニーチェは罵った。私だって、彼に倣ってこう叫びたい。人間はどこだ! 自ら考え、自らの言葉を語る人間はどこにいるのだ!
(p157-158「あくまでもノーと言う」より)
この本の最後のエッセイから。
私にとっては、自分が存在しているというこのこと以上の神秘はあり得ない。(自分が)存在しているというこのことは、科学的には説明できず、理性によっても理解できない。なんでこんなものが存在するのかわからない。なんで存在するのかわからないものが存在し、それがこの毎日を生きているなんて、とんでもないことである。驚くべき神秘である。私には毎日が神秘体験である。
ほんとだよなぁ。いろいろ悩み事もあるけれど、この神秘からしたらすんごいスケールのちっちゃい話だわ(苦笑)。といっても割り切れないアホな私ですけど。でも、こういうこと全く考えない人よりはましだと思ってる。
あとがきの最後に「小林秀雄の名講演、「信ずることと知ること」、参照いただければ幸いです」とありました。去年、この講演録を聴いたのにすっかり忘れてて、で、過去の日記を探したら出てきた。自分のメモを読み返してみると…ん〜、なるほど。繋がってきましたね〜。ちょと嬉し。あ、違う、微妙にw。聴いたのは「考えること」だった!
☆小林秀雄講義録(2)「信ずることと考えること」 - 靴紐直して走るだけ
本があるのか。なるほど。紛らわしいタイトルつけないでくれ!w
小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること | |
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また、この本の「医者の心得」「患者の心得」は、『死とは何か さて死んだのは誰なのか』に所収の「なぜ生きるのがよくて死ぬのは悪いことなのか」にて、「(編集註)あわせてのご一読をおすすめ」とされているエッセイです。あらためて、こんなお医者さんがいたらいいな、ゆくゆくはこんな患者になりたいと思うのでした。