大原健士郎『あるがままに生きる』

あるがままに生きる―森田療法の心の処方箋 (講談社プラスアルファ文庫)

あるがままに生きる―森田療法の心の処方箋 (講談社プラスアルファ文庫)

旦那にブックオフで見つけてもらって読んでみた。浜松医科大の教授であった大原氏が、入院した患者の症例(対話)を紹介している。みな、数ヶ月の入院生活で森田療法の考え方を身につけているようで「あぁ、私みたいな意志が弱い人間は入院治療じゃないと神経症を治すのは無理なのかな?」とも感じたが、入院すればしたでとりあえず「こなせる」んだろうと思う。大切なのは自分で「治す」という意志。「生きたい」という気持ちは普通の人以上にあるんだろうから(神経症の人は)、それを今までとは違った方向で活かせれば…と頭では分かるんだけど、体がついていかないのよね。


心療内科の先生には「頭では何を考えていてもいいから、行動しましょう」的なアドバイスを受けている。症状は「あるがまま」受け入れる。感情に流されず、行動を「さっと」こなす。少〜しずつ頑張りたい。森田療法をやってるから治る、じゃなくて、自分(私)が治す気がなければだめだし、自分の行動で治すしかないんだよな。そして、もっと今お世話になっている先生を信頼してもいいのにな、とちょっと反省した(専門的なことは素人の私が判断すべきじゃないし)。以下、文中からのメモ。

神経症の人は自分を責めるというよりも人を責めがちなんだが、理想的な境遇というものは、そんなに現実には多くないわけだよね。結局、病気を治すというよりも、そういう問題が起こっても、それに対処する態度を勉強していかないとね。実生活において、どういう態度をとるかということを集団生活の中で学んでいってほしいね。


<目的本位の行動とは>
森田療法というのは、闘うんじゃなくて、日常生活の中で普通の生活をしていきながら、その病気を治していくわけなんだね。自分がやらなければならないことを、症状をあるがままに受け入れながらやっていくというのは、その場においては死んだつもりでやってみろということになるかもしれない。(中略)
たとえば、外出する場合も、ただ症状が起こるか起こらないか試すために出かけるんじゃなくて、何か用を見つけてその用を達成するために行くわけだ。その間にいろいろな問題が起きても、気分はあるがままに受け入れて、やるべきことをやっていくということなんだ。


神経質は、もともとよい性格でもなければ、悪い性格でもないよ。よい性格にするには仮面をつけ、パーソナリティーを磨くことだ。
「外相整いて、内相自ずから熟す」という言葉があるね。まず健康人らしくする、そして、よい仮面をつける。自分のありのままを評価してくれというのではなくて、よく振る舞っている姿を見てくれといった姿勢が大切だと思う。


森田先生は「なりきる」という言葉を使っているんだね。何をやるにしても、そのものに「なりきる」「なりきれ」と。


「外相整いて、内相自ずから熟す」というように、外を健康人らしくすれば、心は自然に健康になる。


考えていることと、することは違う。自動車事故を起こしてしまうんではないかとか、死にはしないか、というようないろいろな考えが頭をよぎるけれども、死にはしないか、ということと死ぬこととは、まったく違うんだ。主観的なものと客観的なものは違うということを知る必要がある。


どうして神経症が起こるのか。神経質独特の性格というのは、内気で小心で取り越し苦労で、勤勉だけれども負けず嫌いで劣等心が強いとかだね。完全欲が強い。原因はいろいろあるが、神経症の人は親の育て方が悪かったから神経質になったとか言う。しかし、失敗したからといって二十歳すぎて親のせいだといってもしようがない。親にいまさらどうしてくれと言っても、親もどうしようもない。自分でやっぱり治していかなきゃ。しかし悪い面だけでなくて、いい面もありますよ。いい面を伸ばして、悪い面はやっぱり抑えていく努力が必要ですよ。


人と人との交際は、パーソナリティーとパーソナリティーのつきあいなんだ。パーソナリティーの語源はラテン語でペルソナ、仮面という意味がある。大人のつきあいというのは、皆仮面をかぶっているわけだが、神経質の人の中には、そういう仮面をつけることは自分を偽るみたいに考えて、非常に嫌う人がいる。しかし、本当はそれではいけない。
やることなすことすべていいとは限らない。悪いところだけはできるだけ抑えて、よい面だけを見せようと努力するのが自然の姿だ。だから仮面をつけて、それを練習することによって、仮面ではない本当の顔になっていくというのはありうるし、そうした努力を続けてもらいたい。