気になる文章

「そんなことない!」と憤りつつ、でも他人から見たらきっとそうなんだよな、と認識させられる。なんか悔しい。ひさしぶりにグサっときた。以下、『神経質の本態と療法―森田療法を理解する必読の原典』より引用(長文です)。

 神経質患者がつねにその症状を家人に訴えるのは、自己の苦痛を周囲の人に理解させ、同情をもとめて、いたわってもらうためであって、そのために患者は、かえってその苦痛を憎悪させるものである。そうしてその訴えるところが詳細になるにしたがって、注意はますますそちらに執着して、人々はみな愉快にしているのに自分一人苦しいというふうに、自己と他人との差別を大きくし、城郭を構え、いよいよその自己中心的な感情に閉じ込められ、事実に対する正しい判断を失うようになるのである。それは懺悔とか、自己を周囲の人々に対して赤裸々に打ち出すとかいうこととは、まったく異なった心理である。神経質が、人が自分を理解してくれないとかこち恨むのは(※註「かこち」部分は強調=傍点)、たんに人に知られて都合のよいことばかりであって、少しでも自分に都合の悪いことは、けっして人に理解してもらってはいけないのである。このように神経質患者は、無言で自分一人で、主観的に苦痛そのままになりきることができず、また一方には客観的に自己を赤裸々に投げ出すことができず、自己を第三者として正しく批判することができないで、いたずらに苦痛を回避しようとすることにのみ全力を尽くし、それと、いたずらに他人を羨んで、自己を悲観する心情との間にますますその悩みを重ねるものである。すなわち主観と客観と一致もせず、また別々にもならず、その間の中途半端に迷うものがすなわち煩悩であり、迷妄であると思うのである。
(102頁〜103頁)

神経質の本態と療法―森田療法を理解する必読の原典

神経質の本態と療法―森田療法を理解する必読の原典