アートフィルムフェスティバル 第一期:松本俊夫 映像のアヴァンギャルド その3

今日は<虚と実のゆらぎ2>2作品の鑑賞と、松本俊夫監督の講演を拝聴。

<虚と実のゆらぎ2> 『気配』『ディシミュレーション 偽装』

いずれも1990年代前半に作られた作品。『気配』ー東欧(ポーランド)の混乱などについて、その映像や監督の想いなどが彼自身の語りとともに流される。『ディシミュレーション 偽装』ーどこかで見たシーン。なんども繰り返される映像。時間のずれとその意味を考えさせられる。小川紳介の訃報を伝える記事が写っていたな。もう15年近く経つのか。追悼上映を観に行った記憶(初小川紳介)もそりゃ薄れるわけだ(記憶の視界が狭くなってる)。


松本俊夫講演会>
講演会というスタイルを少しくずし、愛知芸術文化センター・越後谷学芸員からの質問に松本監督が答えるという形式でのトークショーに。今回の特集上映のプログラム順にエピソードがきけた。まず『西陣』。言葉のシャッフル(同じフレーズが繰り返されたり)という「音の破壊的表現」に関しては、「習慣になっていることをあらたな視点で解体する」「解体と再生」に意味があるというようなことを話されていました。逆に「映像の実験」とも思える『石の詩』では、「映画にはならない(スチル写真のみ)ものが想像をかき立てた」とも。先日の日記で書いた、「「石工が『石が出来上がってきた』ではなく『石が生きてきました』という表現をしたのが印象的」という話もありました。それは映画と同じこと(フィルムを切り取り結合する=映画に生命が吹き込まれ息づいてくる)。また60年代安保の敗北を受け沈黙をかかえていた時代に、言葉を与えたいという想いもあったそう。


『母たち』に関しては「東西問題と南北問題の両方が交差するところを選んだ」と言っていました。上映前に、アートライブラリーでメモった資料によると(以下インタビューより引用)、アメリカ、アフリカ、ベトナム、フランスの4カ国を40日で取材。ここでは「南北問題と東西問題といおうか、西洋とアジア・アフリカの問題をひろいあげるつもりだった」と語っています。ベトナムにはローマから入国し、荷物をプロの映画人とさとられないように、ここだけは16mmフィルムで撮影したそうです(他は35mm)。しかも、メコン・デルタ地帯といって、昼間は政府、夜はベトコンが支配という微妙〜なところでの取材で、いろいろ危険な目にもあったそうです。なんてチャレンジャー(笑)。ちなみにアメリカはハーレムでの撮影だったそうです…。


『つぶれかかった右眼のために』は、60年代の空気感・過激性をリアルに、また斬新に切り取った映像。「映画に関する考え方を爆発させたい」想いがあったそう。3面マルチ上映でのパフォーマンスというのは日本で初のこと(草月会館で初演)。「いろんな映画の可能性/表現方法はまだまだある」。劇映画『薔薇の葬列』の制作は、新聞にヒントがあったとか。新聞は平面的でありながら経済や社会などいろんな面をなんの説明もなしに混ぜあわせ、持っている。混沌としたものを表現するのに、その形式を映像表現に活かしたということ、と言っていいのかな?(や、松本氏の言葉は難しいのでまとめるのももっと難しくて(苦笑)) この映画は「境界線がテーマ」だったと。秩序とは人為的に作られた制度みたいなもの。決まっているものではない。バランスのとれた今の世界で、秩序の境界線にいるゲイボーイを素材とし、現実と虚構、鏡の中と外、造花と本物の花など、それぞれがからみながら境界線の崩れ方の関係を描いたという。それは『つぶれかかった右眼のために』に通づるものだと。ちなみに劇中で登場する短編作品『マグネチック・スクランブル』『エクスタシス』は、脚本から撮影までの時間があったので映画用に撮影したものだそう。『エクスタシス』に関しては、キャスティング中にピーターをテスト撮影した映像を使っているんだとか(だからピーターの映画初出演は実はこっちということに!)。その後、観客からの質問などがありましたが、もうすでに長くなってますので割愛させていただきます(汗)。映画評論などで書く文章そのままの言葉で話される松本監督が印象的でした!