『新潮』(2011年1月号)

新潮 2011年 01月号 [雑誌]

新潮 2011年 01月号 [雑誌]

中原昌也の自伝が載ってるというので買いました。タイトルは「死んでも何も残さない 中原昌也自伝(抄)」。これは本人の談話を元に構成されたもので、全編は3月に単行本として発売されるそうですが、面白かったという感想は失礼だと思うんだけど、なんていったらいいのか、興味深く読みました。学年としては私が一つ上なのですが、中原昌也と私は同じ年生まれで、ほんとに同じ世代であるはずなのに、なんでこういう映画とか小さい頃観てる?って思ったり、自分よりも年上みたいな感じの話(古い話)をしてたりしてわけ分かんないw


でも、彼がコンプレックスに感じているようなことだったり、「自己責任」についてだったり、そうそう!なんて思いながら読んだ。親のせいにするわけではないし彼もそうは言ってないけれども、小さい頃の家庭環境や親の育て方(接し方)というのは、大人になっても影響あるよなぁとしみじみ。うちの親も友達の親よりも年くってたから(中原パパよりうちの父の方が少し年上だ)、あ〜やっぱあの世代の親はそうなのかしら…と感じたり。ただ、あの…女子には分からない話題があり、それは若干悔しいw


昨年末の朝日新聞斎藤美奈子が『「わからない」の効用』というタイトルで文芸時評を書いていました(その新聞をうっかり処分してしまったので気になる方は調べてください)。その中で、中原のこの自伝からの引用がありました。それをここにメモしておきます。

 わからないものはみんな偉そうで高尚なものだと思ったり、通向けのものだと思ったりする。この貧困さは何だろう。みんな、精神が貧しくなっている。本当の意味で孤独になり、この世界がいったい何のために存在するのか、という根源的なところまでは決して行かない。わからないものはすべてないものにする状況は何なのか。だから、自分の知らないことはみんな悪口をいう、僻み根性の人間ばかりもてはやされる。今後はどうなるだろう。どうせ、マンガやアニメばかり語られる悪い方向にしか行かないさ

あ、新聞での引用は前半だけだったかもw しかし、ほんとそうだよ。ミニシアターがどんどんなくなってくのもそういうことだよね。。で、斎藤さんはその連載の最後に例の賞を取った元俳優の作品について「わかるものだけを並べた小説だった」と言っていました。でも、そんな作品がベストセラーになるのが今の社会。なんなんでしょうかね。昔はもっといろんな選択肢だったりがあったような気がするんだけど。物質的に豊かになればなるほど、精神的に貧困になるんだろか…。話が脱線してしまいましたが、3月の単行本を楽しみにしてます!