保坂和志『<私>という演算』

「私」という演算

「私」という演算

「思考のかたちとしての九つの小説」とあるけど、いわゆる「小説」ではないかな。九つの短篇は、根底で繋がっていて、その全体で小説となっている感じはします。帯には「思考のかたちとしての九つの小説」とあります。


どれも面白かったんだけど、特に印象的だったのは「そうみえた『秋刀魚の味』」「祖母の不信心」「二つの命題」「<私>という演算」「死という無」。私も小津が好きで『秋刀魚の味』も観ているのだけど、ここで語られている場面はうっすらしか覚えてないので、もう一度観てみたいです。何度も同じ映像を観ているのに、しばらくしてからハッと気づくことはありますね。


「<私>という演算」では、ベケットの『伴侶』についての記述がありました。これは保坂さんの作品には何度も出てくるのですが(連載中の小説にも)、ずいぶん長いことこのセンテンスについて思考しているのだなと思います。そのセンテンスというのは「すべてを自分の伴侶として想像する、想像された、想像するもの」です。


全体的にどんな内容なのか? う〜む、説明が難しいのでこれも帯から引用します。

<私>についてこうして書いている<私>という存在は、いつか<私>がいなくなったあとにかつていた<私>を想起する何者かによって<私>の考えをなぞるようにして書かれた産物なのかもしれない。

スピリチュアルな意味ではなく、<私>ってなんだろう?と興味のある人は是非。ていうか、上の文を読んで何これ読みたい!と思う人におすすめですw