『文學界』/保坂和志『カフカ式練習帳』メモ

第二回・第三回の短いメモ。第二回は文章がどうのこうの言うよりも、多分普通の人にはどうでもいいことが気になりました(苦笑)。一部の文章の最後に「借用」って入ってたので、「引用」と「借用」ってどう違うのかな〜、と。。私がブログで本などから引用する時は、引用したことを明らかにし、原文のまま表記(入力)しています(無断でも良いことになっているはずです)。じゃぁ「借用」って??と。これこそ無断なんだろうけど、元のものと同じか、元のものに新しいものを(勝手に)つけくわえたりちょっと変えたりするのかといったら後者ですよね…。どっからの借用なのか、とか、どういう風に変えているのか、案外そのままなのか?って、読んでいったら、こんな文。

 岩波文庫コンラッド短篇集』の訳者(中島堅二)解説で『ガスパール・ルイス』について、
「ちなみに、本訳書一七一頁にあるインディアンが砦を攻撃する場面は、チャールズ・ダーウィンの『ビーグル号航海記』の借用であることがわかって興味深い。」

※太字は強調のため私がつけました

そのダーウィンの航海記の引用がその後に。また、この文章の直後にも面白いこと書いてありましたね。あ、それで?っていうか、こっちが「!」っていうか「!?」っていうか…w。うまく言葉には出来ませんけど、頭にはふんわりと何かが浮かんでる感じ。

 並べてみるとまったく似ていないが、そんなことは問題ではない。


第三回は、冒頭の文章がとても好き。

 その家は空間というより配置であり、部屋というより移動の痕跡であり、記憶というより手触りないし感覚の古層に働きかける湿り気や嗅覚だった。

・マックス・ブロードが書いたカフカの最期の場面
・「私たちはあの人をあそこにほおっておいているのです。ひとり暗い場所に、何も着せずに。」

 魂があるなら老猫も老父もこんな動きの悪い体をいつまでも持っていないで新しいまっさらな体にかえる方がよっぽど、いい。魂があることを証明されるなら彼は喜んで目の前にある老朽化した体が終わるのを見送るだろうが、魂の実在はいまだ証明されていない。
 彼のそんな話を最も正確に、というのは最も勝手に解釈するといっても同じことなのだが、つまりは最も充実した会話になったのは小島さんだった。
「自由、自由ってみんな言うよねえ。でもこの年になると自由なんてものは人生で一度もなかったと思うよねぇ。あなたも『小説の自由』ってタイトルを本につけたけど、自由についてどこにも書いてないものねぇ。……
      *
 佐々木中の『夜戦と永遠』の死体に関する、「そこに、われわれの前に、何ものかがある。生者それ自身でもなければ、何らかの現実性でもなく、かつて生きていた者と同一の者でもなく、ひとりの他者でもなく、別の物でもない」というくだり(これはブランショからの引用だ)を読んだ晩、いともたやすく亡兄が夢に久しぶりに出てきた。

小島さんってのは小島信夫さんのことだと。で、「引用」しててなんなんですが、引用していたら、自分の問いの答えを見つけてしまった感じです。ま、いいや(苦笑)。。思考能力ほんとないから(汗)。きっとみんなどうでも良いというより「当たり前に」理解されてるんだろうと(笑)。にしても「記憶」「空間」その他もろもろ、自分のどっかにひっかかる。その都度、遠い目(リアルにw)をしてる気がして、そういう姿は誰にも見られたくない(笑)。

文学界 2010年 02月号 [雑誌]
B0030UNQ4Y

☆第二回収録

文学界 2010年 03月号 [雑誌]
B00354W5I8

☆第三回収録