笙野頼子『愛別外猫雑記』読了


愛別外猫雑記


自称「猫好き」なんですけど、読んで行くうちに私は本当に「猫好き」なんだろうか…と思ってしまった。笙野さんは冒頭にこう書いている。

私は決して猫が好きなのではない。彼らを飼うのも下手だ。ただ、友達になった相手がたまたま猫だった。その友も出来れば裏切りたくなかったのだ。

笙野さんは外猫を保護し里親探しに奔走する(こんな一文では片付けられないほどの困難にあわれてますが…)。私は最近また猫と暮らしたいなと思い、里親募集のHPを見たり、ペットショップに行ったりしているけど、もし笙野さんと同じような状況にあったとして、私はどんな行動がとれるのか。とろうとするのか…。そこまでの覚悟はあるのか…? 前に猫を飼っていた時は、両親が飼っていた猫を引き継ぐ形になったのだけど、6歳の猫だったけどすぐなついてくれた。たくさん粗相もされたし、目やにが多かったりちょっと病気気味だったし、晩年は糖尿病になって注射を私がしたりしていたけど、外猫の保護の大変さなど、ここまでのものとは思ってなかった。気軽に「猫さん可愛い、今度は二人以上がいい」なんて思っていた自分は本当に「猫好き」なのか…。それに今すぐ里親になっても私の体調の問題もあるしちゃんと育てられるか不安で…。いや、でもこれも逃げだよな。自問自答な日々。


また、猫を通して見える人間の醜さ。悲しいけど、これが現実だよな。別にみんなが猫好きになればいいと思ってるわけじゃないけど、嫌いでもそこまでしなくても…とか、その態度(言葉)ってどっから出てくるんだ?っていうか。猫を通して、と書いたけれど、それは全てに当てはまる。なにかの「きっかけ」があった時に見える人間性に辟易することがこれまでの人生にも何度かありますが、それがこの本に凝縮されてる気がして、読んでてこっちも正直疲れたのだけど(昔の嫌なこと思い出しちゃったり…)、でも、いちばん疲弊しているのは笙野さんなわけで(体調悪くしながらも、仕事でのトラブルも抱えながらだったわけで)、本当にもう頭が下がるというか、尊敬します。。なんかうまく言えないけど、(私には)辛い本だったけど、読んでおいて良かったです、また猫と一緒に暮らす日が来る(のか分からないけどその)前に。



ちょっと本の話とはそれるんだけど、里親になるのがいいのか、ペットショップの猫さんを「買う」のがいいのか悩んでいます。ペットショップの猫は、もし売れなかったらその後はどうなってしまうのだろう…と考える時があるんですけど…(ちゃんと調べたことはないのだけど)。いつも子猫が売られているでしょう? 本当にみんな飼い主の元に行っていればいいのだけど、もし大きくなって売れなくなって?処分されてしまうのだったら「買う」ことも猫さんを救うことになるのか?とか…。ただ、「買う」のも「飼う」というのもその響きに違和感がありますが…。また、里親になれば、たくさんの猫さんを保護している方の負担は減るし、猫同士のストレスも減るかも。外猫も処分される猫も減るかも。でも、自分に里親になる資格があるか自信が無い。と悩んでる自分自身にまた情けなくなってきちゃうんですけどねー。う〜む。こうやって悩んでいる間に救われる命もなくなっていっているという現実もある。