青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』読了


四十日と四十夜のメルヘン


やっと読み終わった〜。表題作「四十日と四十夜のメルヘン」は途中まで読んで、また最初から読み始めたものの結構早く読み終わったのですが、もうひとつの「クレーターのほとりで」、これでつまづきました(苦笑)。「クレーター」は宣伝文句に「綿密な考証と上質なユーモアで描く人類創世譚」とあるように、人類学っていうと大げさ?かもしれないけど、そういうジャンルでして、私、とても苦手だし…(苦笑)。あとここ数日の睡魔で全然進まなかった。だけど、その「上質か」は分からないけどwユーモアであることは確か。何が面白いか? これ、説明するのも苦手なんですが、気づくといつの間にかこうなってるというか(これは「四十日〜」でも感じたこと)。あれがこうなるんだろうなとは分かるけど、で、結局これなんだったんだ?っていう疑問も残りますが、でも、なんか面白い。説明にならん…。


「四十日〜」の方は、7月4日から7日までの日記を繰り返し書いていて…なんて説明したらいいんだろう…w。チラシ配りをする「わたし」がチラシの裏に『チラシ』という名の「メルヘン」を描こうとするその日常を綴っているというか。同じ日のことを書くんだから同じ内容になると思いきや、どんどんずれてく。そういえば、とある作家はエッセイで同じ(ような)シーンを何度もいろんな本で書いていて「また、これか!」って思っていたんだけど、それって「同じようでいてわざと表現をちょっとずつずらすのは、そのズレの部分を訴えたかったのかな」と思ったことがあるんですが、この作品ではその感覚を一作品の中で表現しているような気がしました。というか、そんなことを思い出しました。


なんか、読むほどいろんなことが重なっていって、でも、(チラシが崩れるように)バラバラになるような感じもして…。本文に出て来たせりふだけど、まさに「言語が混乱する!」面白さですかね。文芸講座の講師で作家のエピソードだったり(京大式カード、護符…。エッセイのタイトルが『ニコライ先生その日、その日』とか)、書いている「メルヘン」内での会話がフランス語講座のアレのまんまだったり(苦笑)。その他もろもろいちいちウケてました。解説は保坂和志で、それを読んで初めて知ったのですが、この文庫版と単行本版では大幅に違うみたいなんですよね。しかも、新潮新人賞を受賞した時とも違うそうで。それ読み比べたいなぁ。でも、きっと読んでも「分かった」ことにはならず、ますます? いや、いよいよ大変なことになっちゃいそうだよなぁ〜(笑)。さっそく文庫バージョンも読み返したい気分だけど。ただ、とても好き嫌いが分かれそうでもあるので、興味ある人は保坂氏の解説を先に読んだら良いかな〜と思う。