保坂和志『アウトブリード』やっと読了…

アウトブリード (河出文庫―文芸COLLECTION)

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時間かかったなぁ…(苦笑)。最近寝る前にしか本が読めなかったのですが(なのでちまちま読むしかなかった)、今日は朝からちゃんと家事をしたおかげで(せざるを得なかったw)、思いがけず夕方まとまった時間が出来たのでここぞとばかり一気に読了。とても興味のあることが書かれているのですが、どうも私の理解力が足りないみたいで、一回読んだだけじゃ分からないから、同じとこ何度も読んで見たりして、でも「分かった」気にはなれなくて、そんなモヤモヤしつつも最後まで読めたのは、やっぱり面白いからだと思うんだけど…(笑)。この本はジャンル的にはエッセイ集なんだけど、こんなにさらっと読めないエッセイ集は私は初めてでした(苦笑)。前にちょこっと引用しましたが、今回はそれの後半ということにします。もっとたくさんの箇所に付箋貼ったけど、今日の気分で引用メモしておく。

 近代以前までは科学と哲学と文学がほぼ同じ場にいた。科学と哲学がいまもなお記述可能な領域を広げる志向を持ちつづけているのに、文学だけがそこから撤退しているように見えるのは奇妙なことだ。絵画は空間の中に自分が存在していることを忘れないし、音楽は時間の中に自分が存在していることを忘れない。それでは文学は何を忘れるべきではなかったのだろうか。
p.120 「リトルネロについて」に接ぎ木する

 人間という動物は生物学的に定義することに意味がない動物だ。人間は生物学的要素の統合でできているのではなくて、言語によって人間となっている。(きっとラカンもそう言っている)。
p.158 人減あるいは人間的なものをめぐって

 感覚は「世界」を知るためではなくて、ただ自分の住む「環境」から生存に必要な情報を得るために適応し、人間の場合、感覚に知能と経験(記憶)が働く。
p.173 生と死についての問題へのアプローチについて 3科学的思考について(3)

 直接がすでに間接を含んでいる。純粋に直接といえる状態は、人間だけでなく、ほぼすべての動物を通じて、ない。
P.174 生と死についての問題へのアプローチについて 4感覚の純粋な状態はないということ

(前略)心から書きたいのは、小説ではなくて哲学なのかもしれないと思う。しかし、僕のイメージする哲学とは、それでもやっぱり、小説のボーダーではあるのかもしれない。本当は、そうであることを望んでいるのだけれど、いま、一般には"小説"も、"哲学"もイメージされている幅が狭すぎる。
p.210 一九九六年二月付(樫村春香への手紙)

 こういう抽象的な言い方は一般には受けないかもしれないけれど、人間は本当はみんな、抽象的な概念に支えられて生きている。人に勇気を与えるのは、具体ではなくて、抽象の方で、そのとき抽象は実体となる。──あの頃、どこまでこんなことを考えていたか忘れたけれど、いまはこう考えている。
p.228 「小説トリッパー」1996年冬号

あと、下の文章を読んで、猫を飼っていた経験のある私は、父が亡くなってから、毎日同じ時間に玄関で父の帰りを待つ猫さんの姿を思い出しました。それが数ヶ月続いて、ようやく戻ってこないと感じたみたいでした。

 猫にとっては、一回性の出来事は記憶とならず、繰り返し(日課)のタイミングがずれるときが「時間の発生」なのかもしれない。
p.221

保坂和志『アウトブリード』読書メモ1 - 靴紐直して走るだけ
保坂和志『アウトブリード』読書メモ2 - 靴紐直して走るだけ