『書きあぐねている人のための小説入門』引用文献リスト他メモ

個人的にちょっとまとめておきたいのでメモ。引用文献は、この本のなかで引用された作品のリストですが、文中に出てくるだけの作家・作品名は省略。1回でてきた作品も。(見落としもあるかもしれないので参考までにとどめて下さい…。あくまでも自分用のメモなので)。

<引用文献リスト>

2「小説の外側から」

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』(土屋哲訳・晶文社
ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(杉山晃増田義郎訳・岩波文庫


4「人間を書くということ」

トルストイアンナ・カレーニナ』(木村浩訳・新潮文庫


5「風景を書く」

保坂和志カンバセイション・ピース
トーマス・マン魔の山』(高橋義孝訳・新潮文庫
チェーホフ『イオーヌイチ』(小笠原豊樹新潮文庫『かわいい女・犬を連れた奥さん』所収)
高村薫『季歐』


6「ストーリーとは何か?」

ベケット『モロイ』(三輪秀彦訳・集英社


7「テクニックについて」

ガルシア=マルケス
百年の孤独』(鼓直訳・新潮社)
大きな翼を持った老人』(保坂和志訳)
小島信夫抱擁家族

以下、本文からの個人的引用メモ。

日常の会話というのは、極端に言ってしまうと、聞き手は話し手の意図を取り違えて納得しているということを押さえておく必要がある。聞き手は、話し手の話を聞きながら、たえず平行して別の関心事に気持ちが行っているのだ。(p.116)

 意味のズレによる歪みや停滞は、会話の流れに緩急をつけたり、意外性をもたらしたりする。しかし、これは作中人物の無意識によるものであって、「裏読み」とは違う。「裏読み」とは、相手の発言を矮小化する意図に沿ってなされることがほとんどで、そういう台詞はしゃべらせないほうがいい──というか、そもそもそういうキャラクターは小説に登場させるべきではない。ちょっと考えてみればわかるが、だいたいそういう「裏読みキャラ」は、いつも読者の中にいるのではないか。(中略)


たしかにイチローピカソのような天才は、普通の人がふだんは考えもつかないことを考えており、その発言は聞き手のスケールによって裏読みされたり、矮小化されたりしがちだ。しかし、これは普通の人であっても同じで、誰でもひとつくらいは普通の人が考えもつかない領域があり、とてもユニークな発言をすることがある。そういう発言は、できるだけそのまま受け取り、記憶すべきで、そういう発言のストックが小説家の財産とも言える。(p.117〜120)

ここで一言つけ加えておくと、もしあなたが友人の体験談を聞いて深く共感した場合、友人の体験はあなた自身の体験になっている。あなたはそこで体験されたり、言葉にされたりすることと同じ価値観・疑問・志向(ないしその萌芽)をすでに持っていて、それにピッタリはまるから他人の体験や本で読んだ言葉が忘れられなくなる。読書も含めて深く共感する「体験」とは、そういうものなのだ。(p.231)

特に、2番目の引用部分、「裏読み」のところで思ったことは、あぁ、私は普段の生活でいろいろ考え過ぎというか先読みしすぎて疲れるところがあるというか、会話になってないというか、損をしてるというか…(苦笑)。もっと素直にその発言を受け止められたらなと。そういう癖をつけていけばもっと読書も楽しくなるかなぁと感じました。また、最初の引用部分では、私は人との会話に期待を持ちすぎるから悩むのだな、と再認識。相手が私の発する言葉で同じことを想像するとは限らないものねぇ。分かってもらおう、なんで分かってもらえないんだと考える方が無駄なんですね。これがこの本を読んでいちばん強く感じたことです。こんなんでいいんだろか…。その本のテーマ(?)とずれたところでいろいろ感じてしまう今日この頃の読書です…。