池田晶子『人間自身 考えることに終わりなく』読了

人間自身―考えることに終わりなく
人間自身―考えることに終わりなく
新潮社 2007-04
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おすすめ平均 star
starこの本はまともな大人の思考、言葉にに満ちている。鮨なら上寿司かな!
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週刊新潮』の連載をメインにまとめたエッセイ集。彼女の最後の連載のタイトルは「墓碑銘」。その数回前の連載でも、自分の死を意識したような文章がありました(「今思えば…」って感じだけど)。池田さんのエッセイはいつも通りの歯に衣着せぬ発言がが連発、たまに「そこまで言っちゃっていいの…」というのもあったけど、今回は、いままでのそのノリのなかにたまに見え隠れする不安というか、言い切りたい!という切羽詰まった感じをところどころに受け、ちょっと最後まで読むのがつらい時もありました。が、だからこそ、ひとことひとことを丁寧に読めたと思う。


以下、少し引用(メモ)。

 じっさい私だって、生死について思索深めつつ、生きているのか死んでいるのかわからなくなるのはしょっちゅうである。生きているのでも死んでいるのでもなく、ああ存在しているなと、こういう感じである。自分が誰であるかなど、とっくに忘れている。ただ、すべては存在しているな、なんだ何にも変わらないじゃないかと。
 どうして存在はこうなのか、知っていると言う人がもしいるならば、私は、たとえ宇宙の果てでもその人に会いに飛んで行くだろう。会って、そして蹴倒してやるのである、「この、タワケ!」(P35)

 じっさい、多くの大人は、子供よりも先に生きているから、自分の方が人生を知っていると思っている。しかしこれはウソである。彼らが知っているのは「生活」であって、決して「人生」ではない。生活の仕方、いかに生活するかを知っているのを、人生を知っていることだと思っている。そして生活を教えることが、人生を教えることだと間違えているのである。しかし、「生活」と「人生」とはどちらも「ライフ」だが、この両者は大違いである。「何のために」生活するのと問われたら、どう答えるだろう。(P53)

 世の中には、自分とは違った理屈で生きている人間もいるのである。そう思っていた方が、人生は豊かになる。(P93)

 しかし、これまた改めて考えてみるに、自分が自分であるということと、他人に好かれるか嫌われるかということは、全然関係ないのではなかろうか。他人に好かれても嫌われても、自分が自分であることに変わりはないからである。逆に自分の側にも、好きな人間と嫌いな人間がいる。しかしそれと、その人間が自分を好いているか嫌っているかはやはり関係がない。その人間はそう思い、自分は自分で勝手にそう思っているだけだからである。
 なんか当たり前すぎることを言っているだろうか。私は発見だと思っているのだが。
 しかし、この発見の観点から眺めてみると、この人の世では、なんとやはり、人は人に好かれたいと必ず思い、人に嫌われたくないと、必ず思っている。好かれたくて嫌われたくないのが、人の世の原理なのである。やはりこれは凄いことではなかろうか。他人にどう思われるかが、自分の行為の基準なのである。じつに多くの人が、そうやって人生を生きてゆくのである。端的に、これが社会というものである。本当に驚くべきことだと私は思う。

「自分探し」ってのも他人に「どう見られているか気になる」から流行るんでしょうかね。といいつつ私もいつもどこからか視線を感じてしまう。自分は自分なのになんで気にしちゃうんだろうな。人生っていうか人の行為って結構単純ですね…(プチ虚脱)。気を取り直して…これからも私なりに地道に考える日々を送りたいです。