『横尾忠則の超・病気克服術 病の神様』

病の神様―横尾忠則の超・病気克服術 (文春文庫)病の神様―横尾忠則の超・病気克服術 (文春文庫)
横尾 忠則


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今日ブックオフで購入。面白そうだったのでパラパラ読み始めたら、なんだかいけそうな気がする〜!と思ったので、一気に読んでしまいました。本の紹介文には「独自の死生観とユーモアをまじえてつづったかつてない病気エッセイ」とありましたが、まぁたしかに病気がふとしたことで治ってしまったり不思議なことが続いて、え〜?(懐疑的w)と思いつつも、それで?それで?という感じに面白く読めました。病気を綴ったものを面白いってのもなんなんだけど(苦笑)。


たしかに私も、いままで苦しんでいた症状が一気に治ってしまったことは数回ある。それはいつも胃痛なんだけど。胃痛で病院行って胃薬を処方されて、効かない…。じゃぁもっと強いやつをと処方され、効かない。一番強い薬を飲んで効かないとなった時、胃カメラ検査をするしかなく、泣く泣く胃カメラ飲んだんですよね。そしたら、胃の中はとっても綺麗とのこと。え、ほんと? こんなに痛いのに。でも、検査の帰り道、胃が痛くないことに気づきました。この時は「やっぱり病は気からかぁ」と思ったもんです。ただ、今のわき腹の痛みは胃カメラで異常がなくても治らないのでなんなのかなぁ〜と不安ですけど(もう1年以上痛いから)。


そういえば、家では死にそうだったのに、救急車が家に近づいてくるのが分かると、急に症状が消えていくこともあった(苦笑)。精神と肉体は本当に切っても切りはなせないものだなと痛感します。だから今ある症状も、心から来ているんだろうなと予測もつくし、心当たりもある。その心を治したいというか健康にすれば、体調も良くなるかなと思ったけど、とりあえず体の健康にこころがければ心も健康になっていくんだろうか? きっとなるな、とか思った。でも…動悸がしてまだ活発に動けないんですけど…。なんか良い方法はないかなー。横尾さんは導引をすすめていたけど、このあたりでは聞いたことない…。


ちょいとメモ(引用)。

 谷崎潤一郎は、運命は思想が作ると言っているが、確かにそうかもしれない。健康も病気も気の持ちようという格言と一致する。「病は気から」といわれるが、「気」とは思想でもあるといえる。良い思想を持てば、大自然が見方をしてくれるが、悪い思想に大しては大自然の摂理もそっぽを向くかもしれない。肉体も自然の一部である以上、大自然と親和関係を結んでおいた方が健康は維持できるように思う。
(中略)
 ありのままでいることが人間の自然であるとすると、病気は、あるがままでいないがためになるらしい。

そして「あるがまま」(森田療法)に戻るのか…

 つまり肉体のキャパシティを超える精神の活動は決して自然体とはいえないような気がする。肉体と精神がフィフティ・フィフティにバランスを取って初めて心身が健康だとすると、どうも現代人は肉体を犠牲にしてまでも精神主導主義を取ろうとする。今、肉体を考えることがちょっとブームになろうとしているが、われわれは心の声を聞くと同時に肉体の発する声にも耳を傾けてやる必要を感じるのである。そういう意味では病気やケガは肉体について考える大きいチャンスといえるかもしれない。

 全ての病気が人間の心や意識と深く結びついているとはいえないまでも、少なくとも大部分の病気はその人間の心や意識が創造した架空の非健康体なのではないだろうか。
 言ってしまえば病気なんてないんだ。病気だと思っている状態は、実は仮の姿で本人が無意識に病気を求めているのではないかとさえ思えてくるのである。


そうそう、温泉ってそんなにいいのかな〜とか(私もお風呂が苦手なので温泉の楽しさが分からない人種であるw)、健康サンダル買ってこようかなと思った次第です。あ、この本をいわゆる普通の「健康法」と思って読むのはなんか違うかも。そこはご注意くださいw 真似出来ないことが多いので…。