『森田療法』岩井寛

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

心療内科の先生がおすすめする本でもあったし、新書で読みやすいかと思って購入。これは口述筆記で書かれたので、確かに読みやすいけど、専門的な言葉もあり、じっくり読む必要があるかも。といいますか、はじめに松岡正剛の追悼文があり、その中で「おわりから読んで欲しい」とあったので、最初に巻末の「おわりに 生と死を見つめて」というあとがきを読んでみました。


森田療法では「あるがまま」というキーワードがありますが、ここまでそれを実践、というか身に付いているって凄い。なんかもう凄すぎて言葉が出ないです。壮絶です。初心者の私は岩井先生を目指すのはもちろん無理です。でも…「あるがまま」が身に付いたら、きっと私は「自由」になれるのかもしれないと思ったりします。

内容的には、森田療法の理論や神経質(症)のメカニズムや治し方などの解説ですが、森田の言うことに対し「筆者はこう思う」と森田療法を理解しているからこそ出てくる指摘がなるほど、といった感じでした。読んでいて、ほんと私ってば神経質症なんだなと確認した次第です。今は症状が強いだけで、かなり昔から(小さい頃から)そうだったんじゃないかな。今頃気づいて遅いよ〜と後悔したりもしますが、仕方ないです。この痛みがなかったら知るきっかけがなかったわけだし。


きっとこの本は何度も読み返すことになると思いますが(新書ではなかなかないよね)、今日読んだなかで印象的だったところを引用します。ちょっと長いけど…。

「あるがまま」という言葉は、治療的方法論としても、思想的な理解としても、浅い所から深い所までこれを理解することができるが、我々日常人にとっては同じように、「あるがまま」という考え方を活用することができる。それは、「あるがまま」にものを見ることが、一つの真理だからである。それと同時に、「あるがまま」のもう一つの側面は、人間の欲望をそのままに認めることである。さらに、「あるがまま」に現象や欲望を認めることができたならば、自分の真の欲望を生かすために行動を起こし、自己実現をしなければならない。それが「目的本位」の行動である。そして、その行動を選択するために、我々は主体的な場に立たされている。苦しいから逃避をするのか、苦しくても人間的な行為を選ぶのか、そこに選択の自由がある。つまり、自己確立のできた人間とは、この自由を行使しうる人間を指すのである。

神経症な人はもちろん、精神の健康のために、どなたにもおすすめしたい本です。