文情ゼミ「映画の現在:1990年代以降」

今日は、私が楽しみにしていた越後谷学芸員による映像の講座でした。テーマは1990年代以降の映像の流れ。1995年は映画生誕100年ということで各国でさまざまなイベントがあったり(私も映画のフリペを発行したっけ…)、それなりに盛り上がった気がします。で、昨年はその100年から10年経った節目の年であったにもかかわらず、特になんのイベントもなく…。レジュメのなかに「(中略)映画の歴史への無関心ともいうべき事態が、この10年で決定的に広まったと言わざるを得ないだろう」との越後谷さんの文章がある。個人的には最近映画を観てなかったし、そういう実感はなかったのだけど、昨年シネマテークで開催された「小津特集」も『東京物語』以外はお客さんがあまりいなかったという話を聞くと、「え〜〜〜〜っ?」と疑問つーか驚いた。私、小津作品はだいたい観てて、そのなかでも初期の『生まれてはみたけれど』(サイレント)がいちばん好きなんでショックですよ…。なんであんな名作を観てくれないんだろうって。しかも、数年前に開催された小津特集は結構お客さんがいたというじゃないですか。「昔の映画を観る」ということ自体は素晴らしいことなのに、そういう価値観を持つ人たちがどんどん減っているのね。私なんか、逆だけど。たとえば『映画の歴史』なんていう特集があったとして『イントレランス』や『戦艦ポチョムキン』『カメラを持った男』などが一気に上映されたら鼻血もんですよ。ワクワクしちゃう。新しい映画(特にCG多用してるのとか)なんか一部の作家をのぞき興味ないし。


ただ、動いているものを写していただけのリュミエール(ドキュメンタリーに通じる)から、独特の世界でシュールレアリストに影響を与えたメリエス(フィクションの原点)、俯瞰の構図を作ったグリフィス。そしてカットバックによる映像表現を確立したエイゼンシュテインブニュエル、ダリによるアバンギャルド映画からゴダールトリュフォーらによるヌーヴェルバーグと、技術の発展にともない映画の手法や表現も変化してきたわけですが、昨今のCG技術というのはあまりにも映画の質を変えてしまっていると同時に受けての感受性も変えてしまっているのかなと感じる。デジタルなものを見てアナログを感じるのか?という疑問。


なんで今の映画に興味がないのか。だって、ほとんど昔の映画のリメイクなようなもんだし(シナリオ学校に通っていた時、昔の映画をたくさん観て参考にして書けと言われた。実際、ドラマなんかもろ「あの映画じゃん!」ってのたくさんあるしね)。サイレント映画を「音が出ない映像を何で(この時代に)観なくてはいけないのか」というような考えの人もいるようで、ほんと残念。音で表現できない分、サイレント映画には映像そのものに力があるのに。モノクロ(白黒)でも、色を感じさせる映像(手法)もあるのに。越後谷さんも語っていましたが、それらの名作がお店で380円ぐらいで売ってるのを見ると萎えます…。こんな名作をこんな安い値段で買ってしまっていいのだろうかという…。その名作が売れないから、どうでもいいハリウッド映画より安く投げ売りされてるのがたまらなく悲しくなります。


以降、もっと長い文章が続きます…

愚痴はここらへんで終わりにしまして(苦笑)、後半は「映像テクノロジーと表現の展開」という年表に合わせ、作品の一部を観ていきました。まず、エジソンが1891年に発明した「キネトスコープ」(外から中を覗く形態)での映像を観た。「くしゃみの記録」「怪力男サンドゥ」。これらはそのキネトスコープの仕組みのせいもあり、同じ映像の繰り返しになります。今からするとだから何?って思うけど、そこに人がいないのに動いてる映像が見えるというのは面白かっただろうなぁ。


次に観たのがリュミエール兄弟によるあまりにも有名な映像の数々。「リヨンのリュミエール工場の出口」「海水浴」「赤ちゃんの喧嘩」「列車の到着」「エカルテ遊び」「壁の崩壊」。「列車の到着」は画面右手から列車が左に入ってくるのですが、それを初めて観た人は「こっちに来る!」と逃げたとかなんとか本で読みましたがホントかな?(笑) リュミエール兄弟の映像が素晴らしいのは、意図してるのかどうか知らないけど、その構図の良さです。越後谷さん曰く「画面に空間(の広がり)・風景が捉えられている」。ホントそうです。ちなみにエジソンが発明したキネトスコープとリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」の違いは、キネトスコープが各自がのぞき穴で観るのに対し、シネマトグラフはスクリーンに投影される映像を複数の人間が同時に観るということで、これが映画の誕生と言われています。


ジョルジュ・メリエス月世界旅行』は初めて観ました。映画の歴史本でワンシーンを写真では観たことがあったんですけど、その名シーンを生で観られて感激! つーか、すんごいシュールで面白いし、昔の映像ってなんでこんなに惹き付けられるんだろうってあらためて感じた。


セルゲイ・M・エイゼンシュテイン戦艦ポチョムキン』は十数年振りにちらっと観たけど、やっぱ素晴らしい。サイレントで字幕はあるけど、なくてもしっかり伝わってくる。モノクロで色を感じないはずなのに、血の赤を感じたり、あのカットバックは今の映画の基本だし、それにあの階段シーンはいろんな映画で利用(オマ−ジュと言うの?)されてますしね。


いちばん「おぉ〜っ!」って思ったのは、先日亡くなったナム・ジュン・パイクの『グローバル・グルーブ』というビデオアートでした。ビデオの特性を使い、画像加工(合成や色の変化)などを多用してるのですが、そのセンスの良さったら! 今あるビデオアートの原点はこれなんだ!ってびっくりした。1973年の作品なのにすんごいカッコイイ。越後谷さんは「この作品は、地球はテクノロジーによって1つのネットワークにつつまれるという未来への予言(予告)がテーマで、それが今日、現実化している。そのことは、昔の作品を観ることによって気づかされる」と語っていました。なるほど。昔の映画を観ることで、新たな発見もあるから楽しいんですよね。私も今の映画を全否定してちゃ映画が楽しめないなとちょっと反省(苦笑)。そ、つまり、映画を楽しむには昔の映画をたくさん観てるとより楽しいですよ、とお伝えしておきます!


時間がなくて以上の作品の1シーンずつしか観れなかったのですが、年表にあった『カメラを持った男』(ジガ・ヴェルトフ)も観てみたかったな〜。文情ゼミ、まだ数回あるのだけど、私が参加できるのは多分今日が最後。次回はもっと映像の講義を増やして欲しいなぁ。いや、映画だけの講座とかあればいいのにと切に願います。