岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』読了

わたしたちに許された特別な時間の終わり (新潮文庫)

わたしたちに許された特別な時間の終わり (新潮文庫)

あした初めてチェルフィッチュの舞台を観に行くので予習としてこの本を読みました。中篇が2作入ってますが、どっちもなんかしょんぼりします。特に後の方の、「わたしの場所の複数」は、自分と旦那のことと照らし合わせてしまったりし、よりしょんぼり(苦笑)。これは私が旦那に言ったことと同じではないのか!って。なので、読後はすかっとはしませんが、もともとそういう本が好きなのでいいんですけど…。ただ、そのしょんぼり具合が結構深いな、というか。


話(ストーリー)うんぬんよりも、その情景描写がとても分かりやすく、特に「三月の5日間」の方では、その地域を知っていたというのもあったからか、頭のなかでその場が的確にイメージされ、あの、自分の頭の中にあった言葉にならないあのイメージが、すごく的確に文章になっていたので驚きました。というか、あの景色というのは、気づく人は気づくんだなと嬉しかった。どの文章か…というのは、プライバシーの問題もあるので書きたくありませんw(や、そこまでたいした理由じゃないですが)。


舞台中心に活躍している作家だったり俳優だったりが映画を作ることがあって、昔たまに観ていたけれど、その時「映画にした理由が分からないな。これ舞台でやればいいじゃん」と思ったので、舞台の人が小説を書くということに少し偏見というか、またあぁいう思いするのかなぁ〜とドキドキしながら(どっちかな?という不安)読んで見た。ら、そんな心配は皆無だった。むしろ、話の展開(話をする人の移り変わり)は舞台的ともいえるけど、それがとても小説に活きていると感じました。


そもそも、私は演劇がちょっと苦手なんです…(※ホントに苦手だったら観に行かないわけで、なんなんだろう? )。目の前で演じてるのを、じっとそばで観てるっていう状況が変!って思っちゃうw いや、でも嫌がってないで観てみようと思って、もう20年前だけど大きな劇団のものや細々とやってる劇団の舞台とか観てたんだけど、観る度に「あの人は今あのセリフをいいながら別のこと考えちゃわないのかな」とか「あの人はあの役を精一杯やっているだろうか。やりたい役だっただろうか」とか「(ミュージカルを観て)突然歌いだすってなんなんだ!」とかどうでもいいことを考えてしまって、舞台で行われていることに集中出来ない!w (あと、単純に私は耳が悪いのか、セリフが良く聞き取れないんです。で、話が分からなくなっちゃって、気がそれるというのもあるかも) その当時から時間経ち、今注目の劇団の舞台が名古屋であるというので、観てみようと。。さて、どう感じるんでしょうか(汗)。小説読んで、チェルフィッチュの舞台に期待しますが、演劇というそのものに未だ抵抗感(※これも抵抗感というか、こういう受け止め方でいいのかなぁ?という不安)があるしなぁ。テーマがまたちょっと私にはキツいみたいだし。これまたドッキドキです…(苦笑)。(※は追記)