池田晶子『暮らしの哲学』読了

暮らしの哲学
暮らしの哲学
毎日新聞社 2007-06-29
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おすすめ平均 star
star強い方です
starどこまでも未知のなかを進む
star哲学を身近に感じる1冊

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本の帯に「急逝した哲学者の最後の一年間。」とありました。だからか(意識してしまったせいか)、最初から「死」について感じることが多く、ちょっとせつなくなることも多かったです。読めば読む程、池田さんの「死」に近づいていくわけだから。でも、やっぱり「死」とか「人生」とか「私」とかってなんなんでしょうね。帯の言葉に戻るけれど「人生という不可解な旅」ですね、ほんとに。それを心底楽しんだのが池田さんなのだと思います。ま、もっとちゃんとした感想はアマゾンのレビューでも読んで下さい(苦笑)。

人生は、過ぎ去って還らないけれども、春は、繰り返し巡り来る。一回的な人生と、永遠に巡る季節が交差するそこに、桜が満開の花を咲かせる。人が桜の花を見たいのは、そこに魂の永遠性、永遠の循環性を見るからだ。それは魂が故郷へ帰ることを希うような、たぶんそういう憧れに近いのだ。
始まりを繰り返すことの痛みは、終わりへ向かうことへの痛みでもあるだろう。花は儚いと人は言う、自分の人生がそうであるようにと。
しかし、儚さは、儚いままやはり巡っている。永遠的なものを知ることにおいて、人は、自分を自分と思うことの不可能と無意味を知るだろう。過去が私の人生から過ぎ去って還らないなら、私の人生の全体は、何に対して過ぎ去ったのか。
p.13 春に思う「この感じ」

多くの人は、とくに現代人は、自分を自分だと思い込んで、その自分を主張し続けてその人生を終えますが、そうではなくて、本来は、どこまで自分というものを消してゆけるかが人生なのだ。自分を消して、自分がいなくなれば、当然それは自然とか宇宙の側へと開けてゆくでしょう。生も死も、そこではまあ似たようなものでしょう。そんなふうにして、徐々にあっちの側へ馴染んでゆく、言わば生きながら死んでゆくのが人生の自然なのだ。哲学とは死の学びだと古人は言いましたが、全くその通りだと思います。
p.36 男・四十路が、煩悩真っ盛り

引用したいところがたくさんありすぎるのでもう止めとく(笑)。この本は『サンデー毎日』で連載していたエッセイをまとめたものですが、特に気になった(面白かった)タイトルを少し挙げてみる。「大人はあの頃を忘れてしまう」「言葉の力」「夏休みは輝く」「セミと数字の魔法」「すべての死因は「生まれたこと」」「晩秋に感じる原感覚」「精神世界ブームなんて」「あなたの親は親ではない」「世の中イデアだらけ」…って結構たくさんあるなw


夏休みのあの不思議な時間をリアルに思い出したり、犬との生活に「ほほぅ」と思ったり、「素数ゼミ」が不思議でたまらなかったりw、池田さんのお父さんが亡くなったことの記述を自分の体験と重ね合わせたり…そんな感じで読んだ。連載は春から始まり、また新たな春を迎えたところで亡くなった。(他にも連載はあったけれど)ここで、池田さんの連載が終わってしまったのか…と改めて思うと、またせつなくなったりして…。例の三部作も読んだけれど、また池田さんの本を読みたいなぁと思っていたら、2月に出るというので嬉しいです! これはデビュー作になるんでしたっけ? 新装復刊ってことで楽しみです↓コレ、コレ!↓

事象そのものへ![新装復刊]
事象そのものへ![新装復刊]わたくし、つまりNobody

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