夢とか痛みとか(読書メモ)

昨日、『未明の闘争』をあらためて読んでみて、あぁ、これは『世界を肯定する哲学』かなにかで言ってたことかなぁともやもやし、その部分を探してみたけど、余計もやもやしてきた(苦笑)。夢だったり「痛み」、身体感覚というかそんなことについてどこかで書いていたと思って振り返ってみてみてるんだけど、『世界〜』じゃなかったのかなぁ。それで、またパラパラ読んでいたら、やっぱりここのことなのかなぁ…と、気になったところがあるので引用しておく。

 夢の中で人は、「鏡像段階」以前の<寸断された身体>ならぬ、<寸断された世界>に投げ込まれている。さらに人は、夢の中では自分の姿さえも外から見ていることもある。第2、第3の視覚と思考の問題の章でも書いたことだけれど、現実の中でももしかしたら人は自分のいる空間を俯瞰するような視野を作り出しているのかもしれない。「意識」がつかのま間借りしている、「私」と呼んでいるこの生体は、本当のところ、それまで経てきた「場所」や「時間」や「対象」をただ保管しているだけの貯蔵庫にすぎない、ということなのかもしれない。
「私」以前、人間は「場所」や「時間」や「対象」に拡散していたということだ。言語について考えるときに私は繰り返し、「習得することはシステムに参入することだ」と言ってきた。言語だけでなく、車の運転にしろ、サッカーなどの動きにしろ、人間がその動きに精通して、「自由」にそれができるということは、どれも「私」以前にあるそのシステムの法則に身を任せるということだ。(中略)
 夢の中で顕著に現われる<寸断された世界><統合されていない世界>という世界像とは、モンタージュ以前の状態の中で、生体に組み込まれたそれぞれに独立に機能しているメカニズムが、独立に発動している状態のことなのではないか。


『世界を肯定する哲学』p.167-168 第9章 夢という、リアリティの源泉または<寸断された世界>の生 より

(中略)した部分がとても面白いんだけど、書いてるともっと長くなるので泣く泣く省略。9章は特にどこ読んでも付箋貼りたくなりました。(「夢」の話って面白い)

「痛い」というのは、当事者の特定の箇所だけが「痛い」のではなくて、周囲の人間が受け取る視覚情報としても「痛い」のだ。人間は、言語の意味伝達の情報手段として視覚を使っているのではなくて、言語が生成する起源にそのつど人間を立ち返らせるベクトルとして視覚を動員している。人間の歴史を通じてやりとりされつづけてきた言葉は、たんなる記号としてでなく居合わせる者も巻き込んで、「痛い」が共有(共振)されるものとして使われつづけてきた。言語と人間の関係においてこれはとても重要なことだ。
 人間の言語は、たんなる"差異の体系"ではなくて、裏地として肉体が息づいているために、居合わせる者も言葉に共振しうる。共振しうる理由は(循環論法めくが)、言語が人間に先立って人間がその網目に投げ込まれたからなのではなくて、起源となっている肉体が言語から失われていないからだ。そして、視覚はつねに起源に人間を立ち返らせる。──「痛い」や「うれしい」という言葉は、それを発した人間だけのものなのではなくて、その場に居合わせた者たちに共有されるものと考えることも可能なのだ。つまり、言葉はある場面では、自-他が明確に区分されているという近代的(?)な前提とは違う様相で使われる。(中略)
 人間というものがいつもつねに自-他が厳密に分離した状態を生きているわけではない、自-他の境界が不分明な場面が人間には確実にあって、かけ声などの言語や視線はそこでも、自-他の不分明さを強化するものとして交わされる。


『世界を肯定する哲学』p.223-225 第12章 生きる歓び より

ていうか、引用長いな…。私が最近読書のペースが落ちてる原因はコレなのかな。本読んでて、これってあそこで言ってたことだよね?と思い、それを別の本で確認したくなる→本を探す→その本で気になる箇所を探してるうちに結構読み返している(元の本の読書は中断される)→日記(ココ)に引用する→もとの文章を読み直す、という一連の動きはかなりのタイムロスになってる気が…。でも、仕方ない。私は自分の頭の中で整理することが出来ないんだもの(笑)。書き出さないと整理できん。でもって『世界〜』を読んでたらやっぱり面白くて「再読したいな」なんて思ってるし。読みたい本はたくさんあるけど、これ全部読めるんだろうか。こんなペースだと、微妙だ…(笑)。

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