寺山修司の47年@中日文化センター

今日の寺山講座も実験映画の続き。そして、谷川俊太郎との『ビデオ・レター』の鑑賞などがありました。講座でメモしたことを毎度テキストエディタに残してるのですが、それだけで結構大変な作業に(汗)。なので、ここでは、日記上に記憶させておきたいことだけ書いてみます。


今日観た実験映画(『二頭女』『迷宮憚』『マルドロールの歌』『消しゴム』)は全部観ていたものだったのですが、その中の『消しゴム』について。消しゴムは文字を消し去るもの。そして、消し去ると自分の身も細くなる。「他のものを消しながら、自分そのものも存在が消えてなくなっていく」という点には、言われてみりゃそうなんだけど、凡人は気付かないよな〜。ちなみに、寺山修司は実際に消しゴムコレクターでもあったそうな。


谷川俊太郎との『ビデオ・レター』は前半30分を鑑賞。印象的な言葉を挙げておきます。*1

「4 寺山→谷川(言葉は意味)」
「九月十五日、谷川さん、言葉をたくさん有難う。でも、問題は、言葉が文字でも音声でもなく、意味だということです」
「意味だけが、ほろびかけているものを、こわれかけているものを、たてなおすことができる。」
「そう思いたいんだけど、どうでしょう、谷川さん」

これに関しては、萩原朔美さんは「こわれかけているもの=寺山自身と最近気付いた」と言っていました。谷川氏は、これに対して答えを保留している(共感も返事もしていない)。言葉で自分の死を立て直したいと思った=「死を乗り越えたい」気持ちだったのかも、とも…。

*1:『月刊イメージフォーラム』1983年9月号より引用