父親の文章

ふとしたことから、父親の名前でぐぐってみたら、出てきました。せつないなぁ。

私のこと、造園のこと   鈴木正明(S31年緑)


   私は現在、藤枝市葉梨、上川地区に住んでいます。我々の年代は小学校3年で開戦となり、6年で終戦を迎えた。尋常小学校国民学校となり、毎日自習と宿題。勉強したのは、旧制中学受験のため、終戦後9月以降であったと記憶している。教育制度により新中高となったが、同じ学校で6年間過した。高校卒業の頃には、多少なりとも復興の兆しが見え始め、これからは都市の整備と造園関係の仕事が繁栄すると予想し、農大の緑地学科を選んだ。本音は入学が楽であったから?卒業した昭和31年は就職難であった。しかし、翌年、第12回国体を当県で開催するにあたり、準備が進められており、幸運にもお世話になることができた。その後は、広域都市計画や区画整理事業に携わっていた。当時日本の道路事情は最悪で、国家的見地から幹線道路の整備の急務が叫ばれ、まず名神道路の建設が始まった。そこで、運転者の安全面で欠くことのできない修景工事の専門家が必要となり、私もその事に興味を持ち、この工事を皮切りに多くの工事・研究に従事し、この間に修得した私の専門は、植物利用による修景防災自然復元等を行う植物応用学であったのだろう。道路公団卒業後、民間にて緑化等の仕事を行いつつ、建設省関係の道路緑化研究の委員も兼務している。
   農大関係は、造園の卒業生を中心に緑友会静岡県支部を結成し、現在会員290名で活動中である。また、全国28県に支部がある。本年6月18日には造園学科の前身である造園学校が東京目黒に開校し70周年を迎えた。この間に700名の卒業生を世に送り出した。記念行事として講演会、70年史、記念事業は造園情報センターの設置を行い、緑友会はこの事業に賛同し、資金援助を協力することになった。
   最後になったが私の出身は富士郡須津村川尻で、現在は富士市となっているところである。今後共、よろしくお願い申し上げます。(No3 平成6年8月号)

   ※ 鈴木正明氏は平成7年9月に死去されました。