未映子、哲学少女の片鱗

asahi.com(朝日新聞社):作家・川上未映子のおかあちゃん 利江さん:2 怖い話で想像力が育ったんかなぁ - 天才の育て方 - 教育

先週から始まった「天才の育て方」、川上未映子編の第2話。うわぁ、やっぱり哲学少女の片鱗が見えますわ〜。

姉も弟も海に飛び込んではしゃいでいるのに未映子だけは水に入らず、砂浜にじっと座って砂に絵を描いていた。絵を描きたいというより、描いた絵が波で消されるのを不思議がっているようだった。描いては消え、また描く。小1時間、同じことを繰り返していた。


祖母と動物園に行った時は、帰宅しても水筒のお茶を絶対に捨てようとしない。「お茶を捨てると思い出もなくなる」と主張した。

小さい頃からこの才能(個性)が見え隠れ、いや出ていたんですね。私みたいな凡人はどうだったか…頑張って思い出してみる。


私の人格形成に重要なエピソード…?? あ、小さい頃5〜6歳かな、西川峰子の「あなたにあげる」をタクシーの中で熱唱していたら(古いなー)、母が「やめなさい」と私に耳打ち。私は小さい声で「うんてい(運転手さんというとバレるから気をつかって「うんてい」とごまかしたつもりw)が怒るから?」と返したつもりが、結構大声だったみたいでうんていに筒抜けっていう(苦笑)。家族で乗ってたんでみんな大受けだった。その前に一回注意されてたのよね、たしか。運転手さん、硬直してましたけど。私的にはみんな(うんてい含む)を和ませるために歌っていたと思うんです。その場をもり立てなきゃ!って。 私が何か言うとウケることが多いので、なにか面白いことしなくちゃみたいなプレッシャーは小さいながらいつも感じていたんだけど(笑)。うぅ…まったくもってなんの才能の片鱗もないっ! というか、もし親が生きていたらなにかしらのエピソードがあったんだろか。語ってくれただろうか。怪しいな(苦笑)。


怪しいといえば、詩があったな、小1の時の「ばらになりたい」という詩。このブログの前かな、どこかにアップしたことあるんだけど、分からなくなっちゃった。内容は、そのまんまばらになりたいというか、ばらが綺麗だからばらに入ってしまいたいという意味不明なもの。でもその後がせつない。ばらの中に入ったら、テレビも見れないし、友達ともあえなくなるし、人とも話せないとかそういう…。小1なのに、どっかへ逃げ込みたかったのかな、寂しかったのかなぁ(汗)。文章を書くのが好きで、小1の時にいろいろ感想文などで校内や地域での評価はあった気がする。担任の先生がなぜか毎日家に来ては私に作文の指導をしつつ、アサヒビールをのんで帰ってくというパターンな日々だったから(女の先生だけど)そのテクニックだけは得たんだな、たぶん。このテクニックと文才はイコールでないというのが悔しい(笑)。


未映子のお母さんの「怖い話」のエピソードって、なんだかあったかい。来週の更新も楽しみだー。


早稲田文学1
早稲田文学1

未映子の短編『戦争花嫁』収録。
未映子の才能は、私にもいろんな妄想をかきたててくれる。