痛みは自分

あいかわらずの痛み。左の背中、腰、左脇腹?(胃痛は今日はそれほどでもない)。今日はホメオパシー講座だったので頑張って行ってみた(先週はダウン)。電車で少し立っていたけど、前ほど痛まなかった。いつも教室に着くだけでグロッキー状態(って死語?)なのに。あれ?いい感じ? 担当のホメオパスさんがいたので現状を報告・相談。「この痛みは何ですか? どこ(臓器)が痛むのか分からないから不安です。この痛みを取るにはどのレメディがいいですか?」。私は痛みを取るのに必死だった。先生は「痛みは身体からのメッセージですよ」と笑顔で答える。治癒していく過程では痛みを伴うのだそう。む〜、でも…。私は早く痛みを取りたいんだ!「痛みが始まった原因を考えるべきですか?」と私。「考え過ぎも痛みに良くないですよ。痛いということより、どうやったら身体が楽になるかを考えてみては? もう少し、自分の身体を信頼してあげてくださいね」とのこと。自分の身体というか、私は自分を信じれてないな。それはつくづく感じているのです。レメディで対処できない重篤な症状の場合、我慢できる痛みではないそう。痛みは「ここにいるよ〜。気づいてと訴えているもの」って!。最近思うこと。「痛みは自分」なんだ。 私の感じる日々の痛みをあれこれこのブログ、あっちのブログに書いたところで共有できるものでもないもんな。誰に訴えても、誰もこの痛みを分かってくれない!と、イライラしてた私。そんなの可笑しいですね。他人には分かり得ないことなんだもん。ポカーンだよ。


ということを、『わたくし率』を読んでハっとし、今日、ホメオパスの先生と話していて確信した。痛みをもっとかわいがってあげないとねぇ(笑)。(ちなみに未映子はこの共有できない部分を、言葉を通して共有できたら(言葉でしか共有しえない)ということをテレビで言ってました)。


※その後、ホメオパシーは止めました。ポカーンな日記だな(苦笑)…