誰か故郷を想わざる/寺山修司

誰か故郷を想はざる (角川文庫)

今日は病院に検診を受けにいったのですが、予約してなかったのもあって1時間半ほど待ちました。。その間に読了。これは、彼の自伝的エッセイとのことですが、たまに嘘も入ってたりして…。どこまでがホントでどこまでがウソかもわからないけど、夢中になって読んでしまいました。ひとつひとつのエッセイについて思うところはあるのですが、簡単に言うと(彼についての感想はいつもそうなっちゃうけど)こんな視点はどこから出てくるのだろうということ。そして、その描写の繊細さ。


空襲の話、玉音放送を聴いた時の描写なんか凄いっす。蝉を焼いて醤油をつけて食べた話、数字の話や戦争論…。第一章「誰か故郷を想わざる」の中で、私が好きなのは「羊水」かな(他に好きなのもあるんだけど、ここに書けない内容なので)。冒頭を少し引用します。

 私は自分が生まれたときのことを記憶していると言い切る自身はない。だが、ときどき始めて通る道を歩いているのに「前にも一度通ったことがある」というような気がすることがある。日の影が塀にあたっている長い裏通り。すかんぽかゆすらうめの咲いている道を歩きながら、
「たしかに、ここは前にも一度通ったことがあるな」と思う。すると、それは生前の出来事だったのではないか、という気がしてくるのである。自分がまだ生まれる前に通った道ならば、ここをどこまでも辿ってゆけば、自分の生まれた日にゆきあたるのではないか、という恐怖と、えも言われぬ恐怖と期待が湧いてくる。それは「かつて存在していた自分」といま存在している自分とが、出会いの場をもとめて漂泊(さす)らう心に似ているのである。

「ここは前にも通ったことがある」。それが生前の記憶?なんて感じたことは実はあります。だけど、その先まで考えなかったですね。モヤモヤした感情はあったのだけど、そこを突かれてヤられましたね…。つーか、かなり長い引用になってしまいましたが。


第二章ではかなり政治的な話が多いけれど(東大闘争の話など)、第2章最初の「賭博」に関する記述に全面的に同意。

 できるだけ「恍惚も不安もなく」生き甲斐も心配もなく、平穏無事に生きたいとねがうスリーピーなサラリーマンたち。その一生はなんと味気ないものであるか。たまにスポーツ新聞をひらき、王の打ったホームランを自分の手柄のように思ってみたって、そんなことは自分の人生にとってはなんのイミも持ってやしないのだよ。
 彼らは、つねに「選ぶ」ことを恐れる。そして賭けないことを美徳であるかと考えて、他人並みに生きることを幸福であると考えている。(だが、彼らだって自分で気づかずに何度も人生上の賭博をしてきているのであり、ただ自分が勝たなかったということを自覚していないだけなのである)

これは、女性にもあてはまりますね。ドラマ見て主人公のヒロインの気持ちになったつもりの女性。みんなと同じブランドものを持つ女性などなど…。OLやって社内結婚して〜という流れに飲み込まれそうになってるのに気づいて、見事に脱出した私(笑)。その後はかなり波乱万丈で一時は普通の生活を求めた時期もあったけど、そんなの退屈だもん。波乱万丈でOKです。